私さとうじょうゆ、実はかなり自意識過剰なんです。
このシリーズでは自分の自意識過剰な感情との向き合い方についてじっくりと考えてみようと思います。
今回、第一回ではそもそも自意識過剰とは何なのかについて考えてみます。
自意識過剰な人たち、集合❗️
そもそも自意識過剰に困らされる場面とは
自意識過剰というのは、他人は自分のことをそれほど気にしていないのにも関わらず他人からの目線がとても気になってしまう感情のことですよね。
自意識過剰になるあまり自分が本来取りたい行動を取れなくなってしまうことがあります。
例えば、、、
・電車の中で席を譲りたいけど譲れない ・授業中わからないことがあったけど聞けない ・本屋でアイドルの写真集を買いたいけど買えない ・カラオケで受付に近い部屋に案内されて思い切り歌えない ・飲食店に一人で行きずらい ・人目のある所でブログを書けない etc...
みなさんもこのような経験ありませんか?
自意識過剰男の矛盾した感情
自意識過剰な人の基本的な感覚というのは
「他の人とは違う特殊な人というレッテルを貼られたくない」
というものだと考えています。
自分が、世間にとってこのような人が一番多いと感じていることと違う行動をとるということ、周りの人とは違う行動をとるということが、他人に見下されてしまう可能性、注目を浴びてしまう可能性に繋がってくるのだと思います。
前にあげた例で考えてみると、
・自分が降りる駅まで、周りの人にあのひとは”席を譲った”人であると思われる可能性がある ・同じクラスで授業を受けていた人たちに、あの人は”わからないことがあってそれを聞いた”人であると思われる可能性がある ・本屋の店員さん、本屋にいる周りの人にあの人は”アイドルオタク”であると思われる可能性がある
といった具合ですね。
ただですね、自意識過剰な私でもステージに立って黄色い歓声を浴びることにはかなりの憧れや羨ましさを感じるんです。
自分が有名アーティストになってるところとか想像したりしますね。
矛盾していますよね。
いや、この二つの間には明確な違いがあります。それは、自分が注目を浴びている相手が自分のファンであるか、それとも特に仲もよくもない人たちなのかということです。
周りにいる人たちが、自分と仲の良い友達でも、自分のファンでもなく、全く知らない人、顔見知り、今後関わっていく可能性がある人である場合に、自意識過剰という感情は発動してしまうのです。
自意識過剰な人は、いわゆる有名人にはなれないのか?
自意識過剰な人でも黄色い歓声を浴びることに憧れがあると言いました。
しかし、自分のファンを獲得するためには自分のことをよくわかっていない人の心を掴む必要があります。
自分のことをよくわかっていない人の前で何か特別なことをする、これは自意識過剰な人が一番嫌いな行為です。
つまり、自意識過剰な人がいわゆる有名人になるためには相当な覚悟が必要であるということです。
有名人になりたいという感情が先行するのではなく、〇〇がやりたい、〇〇を極めたいという感情を先行させて取り組んだ方がいいのでしょう。
路上で活動されているとか本当に尊敬できるよね。
なんか論題とずれている気もしなくはないのですが、とにかく自分がやりたいことを極めたその結果として有名人になっていたというパターンならあまり自意識過剰を発動せずに有名になれるのではないかと考えてみました。
まとめ
自意識過剰な人間は、周りにいる人が、自分とあまり関わりのない人だと他の人とは違うと勝手に自分が思っている行動を取れなくなるということを今回は考えました。
では、どのようにしたらこの自意識過剰というものとうまく戦っていけるのでしょうか。
そんなことを次回から考えていきたいと思います。
それでは。
東京大学工学部B2。AIに興味があり、AI技術を活かした起業を目指して奮闘中。スマホアプリも作ってたりします。
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